中国を代表する写真家として46年にわたり写真芸術に取り組んできた周抗。1979年にモノクロ写真を撮り始め、81年からカラー写真に転向し、87年に初めて作品を発表した。2009年には「不是水墨」(水墨に非ず)シリーズで第7回フィレンツェ・アート・ビエンナーレ写真部門の銀賞を受賞し、中国の写真家として初めてフランスの「秋のアートサロン」に参加する快挙を成し遂げた。13年には、パリのルーヴル美術館カルーゼルホールで開催された「フランス国立美術協会展」で、フランス芸術家著作権協会から写真部門賞が贈られた。また、23年にはフランスの秋季アートサロン120周年記念展にも出展している。
今展では、これまでほとんど公開されることのなかった「幻象」シリーズを中心に展示予定。フィルムとデジタルの境界を曖昧にし、形式的な束縛を打破し、写真の本質──真実と思考を通じて、世界を独自に理解する──表現を行いながら、現実と幻想が交錯する新たな視点を提供する。
写真の始まりと探求
周抗の写真への旅は中学生時代に始まった。「中学の化学の先生が私の啓蒙者でした。暗室に白い紙を置いて現像するだけで映像が浮かび上がったことへの感動は私の原点でした」。当時は技術がまだ発展途上で、独自に試行錯誤を重ねながら写真の扱い方を習得していった。90年代半ばには国際舞台に進出し、海外との交流を通じて自身の創作力を試した。資金も限られていたため、商業写真やフォトジャーナリストの仕事で収入を得て、それをまた表現に注ぎ込んだ。
「私は一生、この一つのことしかやってこなかった。自分が愚かだから、写真に集中するしかなかったのです。これは天から与えられた使命だと感じていました」
テクノロジーの急速な進展により、写真がより身近なものになるなかで、周抗はフィルムとデジタルの融合を積極的に探求した。「印象派が絵画に革命をおこしたとするなら、デジタル写真は写真の革命です。私は暗室時代から写真を学び、フィルムの撮影、現像、制作の全過程を経験したことで、伝統技術に対する深い理解を得ました。その上で、私はフィルムとデジタルを意図的に区別せず、撮影テーマや表現のニーズに応じて最適な方法を選びます」

芸術の本質は哲学
「芸術の本質は哲学だと思います。芸術の核心は人にあり、創作者が作品を通じて世界に対する独自の理解や感情を表現することにあります。技法や経験は重要ですが、それらは単なるツールに過ぎません。真に価値があるのは、創作者の思考と生活の状態で、自分自身が芸術となり、生活の状態が芸術であるならば、作品は芸術なのです」
周抗の「幻象」シリーズは江南文化を背景に、歴史と現実の交錯を映像を通じて探求している。一方で、「不是水墨」シリーズには3つの意味があり、過去の水墨画の巨匠たちに敬意を表しつつ、伝統的な枠組みを打破し、禅宗や道教の思想を取り入れる。「技術の進歩により誰もが写真家になれるようになりましたが、誰もが写真芸術家になれるわけではありません。私の写真作品は事前に構想され、自然の中からその構想に合致する要素を探し出し、実際に存在する自然や人物を通じて私の観念を表現します。この撮影プロセスの進行は遅く、困難を伴いますが、私は人工的な風景ではなく、自然の中で創作を完成させることを貫いています。これこそが写真芸術の本質だと考えています」
掲載した「睜一只眼閉一只眼(片目を開け片目を閉じる)」は、鳥の左脚と右脚が対称的に体を支える瞬間を捉え、バランスと偶然を象徴している。「自分が何を撮りたいのかを知っているからこそ、その瞬間が訪れた時に捉えることができるのです」という東洋の禅的美学を体現し、虚空と活気を通して「モノには魂が宿る」という境地を表現している。画面は存在と無存在の境界を曖昧模糊とし、「大音希声、大象無形」(大音は声く、大象は形無し)という中国の伝統的な思想を呼び起こす。東洋の哲学や美学、宗教を融合させ、混沌とした潜在意識の中から心の映像を捉え、天の時と地の利に従って一気呵成に撮影するのだ。「縁起性空」はその一例で、水の波紋が絶えず集まって離散する過程を描き諸行無常を暗示している。

「魔と仏」ではドン・キホーテの風車のイメージを借りて、伝統的な認識を覆した。
「伝統的な観念では、仏は天に、魔は地にいます。しかし、この作品ではそれを逆転させました。仏は地に、魔は天に、仏は枠の中に閉じ込められています。また、画面の中の2体の観音像は、1体は頭上が黒く、もう1体は白い発泡スチロールの箱と対比的に配置されています。この黒と白は陰と陽を象徴していますが、私の意図ではありません。近所の僧侶が観音像の雨避けのために手近なものを取った際、選んだものが偶然にも私の表現の一部となりました。さらに、画面の右側の枝には小鳥が止まっています。私は2時間近く待って、ようやくこの鳥が飛んできて枝に止まる瞬間を捉えました。小鳥の登場は、偶然と必然の混交を象徴するだけでなく、傍観者としての私の自由な状態も暗示しています」

写真芸術の思考
「撮影者にとって重要なのは、自分自身と写真に対する認識です。趣味ならば、自分のやり方で楽しめばいいのですが、もし芸術家としての立場を目指すのであれば、自分の作品がどの展覧会や審査、芸術機関に参加するのかを明確にし、その価値を高める必要があります」
テクノロジーが創作のハードルを下げたとはいえ、芸術の核心は依然として思想と観念の表現にあると周抗は強調している。作品が捉えた一瞬は刹那であると同時に、のように静かな時間の結晶なのである。彼は若い芸術家たちに、心を落ち着けて自分自身の作品を創作するよう呼びかけ、他人のスタイルを模倣したり、簡単に近道を取るのではなく、内なる真実を表現することを勧めている。
2024年6月、周抗は日本に移住し、日本のアートシーンを観察することで東西の芸術的関係を再考することを計画している。多くの美術館を訪れるなかで、日本のアートシーンの繁栄を深く感じ取り、「これは私の今後の創作に新たなインスピレーションを与えてくれました」と語る。その精緻で華麗な作品の背後には、静けさ、安らぎ、そして遠く淡い禅の境地と美学が微かに感じられる。
